『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)
家族みんなで安心して楽しめる名作――なんてとんでもない。 私が本作に感じるものは、世間様の評価とは180度違います。 ではそれが何かと言えば。 一言に凝縮するとすれば、それは“圧倒的に突き抜けた本気度”ということになりましょう。 だって観ている間じゅう、“次の展開が全く読めなくてハラハラ”“異様なまでにねちっこく恐ろしい闇を物語に絡ませる”“微に入り細を穿ったマニアックな描写を背景にさらっと挿入する”という要素がこれでもかとばかりに目白押しなわけなんですよ。 大体の方は“オチという着地点”を知っているからこそ“安心して”楽しめるのでしょうが。 何の情報も手がかりもない状態での初見では、安心感など欠片たりともありません。 もちろん、“繰り返し観賞に耐える水準の出来”であることは論を待ちませんが。 本作にはそこを超えた何物かを感じずにはおれません。だからこそ何度も観たくなるのでしょう。 とにかく。 笑い。寂寥感。アクション。もちろんヒロインの魅力もですが、ありとあらゆる要素がこれでもかとばかりに突き抜けています。 中でも際立っているのが――闇の恐怖。 例えばカリオストロ一族の暗殺団、指輪を狙ってくる彼らの怖いことといったら。 一突きで即死間違いなし、かと思えば撃てども撃てども起き上がってくる打たれ強さ。 こんな連中が床を埋め壁を伝い、果ては天井までも這ってくるといううそ寒さ。 クルマ(FIAT 500、本作でどれだけ知名度を上げたことか)へ逃げ込めども群れを成して降りかかりしがみつき、壁にこすりつけて引き剥がしてさえなお爪は残るというこの執念。 はっきり申し上げて、初見はこれで心が折れそうになりました。 さらに加えてカリオストロ城の地下迷路に至っては、何をどうすればハッピィ・エンドへ辿り着けるのか全く見当すらつきません。 結局まともに観られたのは評判が拡がり、当時の『水曜ロードショー』(現在では『金曜ロードSHOW!』)で繰り返しTV放映されるようになって、さらに何度目かの放送になってになってからのことです。 とにかく何事にかけても規格外――それほどの本気度が、本作からは感じ取れるのです。 その突き抜けっぷりに、当時小学生の私は耐え切れませんでした。 これで心に刻まれたのは――宮崎駿監督という才能の異常ぶりです。特に暗黒面を描くこと、これを禁忌から外したであろう本作以降の作品群、そこにみなぎるのはある種の狂気ではありますまいか。 もちろん天才を理解することなど、当の本人以外には叶うはずもありません。どころか、当の本人ですら理解しているものかどうか明らかではありませんが。 ゆえに宮崎駿監督に奉りたい称号は、“トチ狂った天才”です。お断りしておきますが、これは私としては最大級の褒め言葉です。 ただし、天才ゆえ後進を育成することは難しいと、私は考えます。 『ポスト宮崎駿』なる言葉が囁かれて久しく経ちますが、少なくとも宮崎監督を目標としている人材の中から『ポスト宮崎駿』が現れることはないでしょう。 天才は目指して到達するものではないのですから。 それでは本日はこの辺で。