電脳猟兵
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クリスタルの鍵
第2章 亡霊
2-7.途上
『ご乗船の皆様にご案内差し上げます。本船はただ今、跳躍ゲートを通過し、星系“カイロス”外縁に到着しました』
耐Gベッド上、マリィの眼前のモニタから“安全ベルト着用”の警告が消えた。代わって恒星系“カイロス”の概要図。現在地――星系北天外縁を示すマーカから、目的地である第2惑星“テセウス”へと軌道線が伸びる。
『現地、惑星“テセウス”標準時は7月16日14時25分でございます。本船はこれよりトランジット便とランデヴー、その後、惑星“テセウス”へ向けて航行いたします。ランデヴー予定時刻は、15時55分です。星系“オケアノス”、星系“ポイベ”方面へお越しのお客様へは、改めてご乗船のご案内を差し上げます。今しばらくお待ち下さい――』
現在、跳躍ゲートと呼ばれるもの――発見当初は“姿なき質量点”と呼ばれた――が太陽系極軌道上に観測されたのは、何度目かの資源危機の最中、第1次資源統制の体制下にあった時のことだったとされている。当時としてはそれ以上の観測を行う余裕があるはずもなく、ただ宇宙の謎に項目が一つ加わった、それだけのことに過ぎなかった。
そもそも、地球が国家の枠組みを抜け出せたのは、他ならぬこの資源危機によるところが大きい。“共通の敵を前にしてこそ人は結束しうる”――それは地球圏に連邦制を提唱したダグラス・ヘイズの言葉だったが。皮肉なことに“共通の敵”とは、人類自身の資源需要そのものを指していた。連邦制は、資源統制を布くための体制をこそ起源として成立したのだった。
資源の枯渇を眼前に突き付けられつつ、人類は外――アステロイド・ベルトとオールト雲に資源を求め、また無数のスペース・コロニィを築き、資源危機の波をやり過ごす、ひたすらそのことに時と労を費やしていた。外宇宙を目的地とした多世代型移民船の建造が、本気で計画されてもいた。
探査機が“姿なき質量点”に差し向けられたのは、発見からたっぷり半世紀が経ってからのこと。その頃までには3箇所に“姿なき質量点”が観測されていた。
4度に渡る探査によって判明したのは、そこに純粋な空間の歪みがあることだった。そして25番目の探査機“マス・クエスタ”に、“それ”が起こった。
“マス・クエスタ”が“姿なき質量点”に向けて放出した小型探査機が“消えた”のだった。残骸はおろか、痕跡すら見付けられなかったという。それどころか、捜索の途上で“姿なき質量点”に接近した“マス・クエスタ”そのものが“消えて”しまったのだった。
“マス・クエスタ”がはるか彼方にある恒星系の、やはり“姿なき質量点”に、現在で言うところの“跳躍”を果たしていた――そのことが判明したのは、さらに半世紀を経てのこと。さらに、跳躍技術が確立されるまでに半世紀。ここに至って、人類は他の恒星系に達する足がかりを得たことになる。
とはいえ、全てが解決したわけではない。最初に発見された跳躍ゲートの先にあった恒星系は可住惑星を持たず、人類の希望を半ば裏切ることになった。待望の可住惑星が発見されたのは3番目の跳躍ゲートを通じてのことで、人類はこの恒星系に“クレイオ”、可住惑星に“イアソン”の名を付けて大規模移民を開始した。連邦が名を“惑星連邦”に改め、暦を“惑星連邦”歴に改めたのは、この時のことになる。
以来、155年。3度の資源統制を乗り越え、人類が得た植民惑星は8を数えた。マリィが目指す“テセウス”は2番目の植民惑星に当たる。
安全ベルトを外すマリィの視界、メッセージ着信のマーカが現れる。続いて“アレックス”が骨振動スピーカから告げた。『マリィ、ニーナからメッセージが入っています』
「来たわ!」
マリィが思わず声を上げた。
「地球から?」耐Gベッドから身を起こしかけたアンナの声にも力が込もる。「ニーナから!?」
エリックの足跡と、そこへ至るルート――それは、時間と資金の限られた2人にとって軽くない意味を持っている。星都“クライトン・シティ”までは“飛脚ネタ”を運ぶとして、その後、惑星“テセウス”上のどこを探すのか。また、どう移動するのか。場所によっては、宇宙港間のシャトル便が移動効率という点で、地上を渡る交通手段に勝る場合すらある。
「そう。彼女からメッセージ。タイトルが““テセウス”旅行のアドヴァイス”!?」マリィが眉をひそめた。「……うーん、目立つタイトルにはしないって約束だけど……」
「体裁なんかどうだっていいのよ――いいわね?」
一言訊いて、アンナはマリィの携帯端末に自分のナヴィゲータを接続する。
恒星系間の通信とあって、リアル・タイムでの会話というわけにはいかない。星系間のコミュニケーションを担うのはゲートを往還する中継船のみ。2人は、同僚のニーナから文字情報として送られたメッセージに眼を通した。
要点は、“エリックのメッセージは、“サイモン・シティ”のダウンタウンで録画され、送信された可能性が高い”ということ。根拠は3つ、メッセージに添付されたヘッダ情報と、撮影時の光源の角度――赤道付近特有の高い角度からの自然光――、それから、彼の着ていた防弾スーツとその型式――治安の良くない、または防弾が日常的に必要な場所にいる、ということ。ただし書きとしては、メッセージがライヴ映像でないことから、編集・改変の可能性は充分にあり、その点に注意を要すること。最後に追伸――ツテというツテを頼って奔走した見返りとして、評判のチーズ・ケーキを1ホールおごること。
「ずいぶんと絞れたわね」アンナが舌なめずりを一つ、「手がかりっていうにはちょっと頼りないけど」
「治安かぁ……」マリィは天井を仰いで、小さく呟いた。「――何にしてもガイドとか護衛とか要りそうだわね。そういう所の案内してくれる人、探さないと……」
〈探したぞ〉ジャックの声に昏く歓喜の色が踊る。〈これで5人目だ――バーナード〉
ジャックがルイ・ジェンセンを手にかけてから1週間。急襲の果てに奪った敵の命はすでに4を数える。
第2大陸“リュウ”の“大陸横断道”もほぼ半ば――当の当日にジャックの元へ滑り込んだのは闇取り引きそのものの情報だった。
いわく――“シールズ・シティ”中央コンテナ・ヤードにて2200。
堕ちたりといえど、ヘンリィ・バーナード伍長は仮にも軍に籍を置く身――命を狙おうにも駐屯地を離れなければ機会らしい機会は訪れない。それがここへ来て後ろ暗い取り引きに出向くというなら、表立っての警戒は取れない道理――ジャックにしてみれば千載一遇、見逃す選択肢はないに等しい。
〈執念よねェ、〉“キャス”が飛ばして皮肉の言葉。〈そろそろ罠とか考えないのかしら〉
〈だとしても、〉応えるジャックの声が低い。〈返り討ちにするまでのことだ〉
〈いいけどね〉“キャス”が付け足して軽く一言、〈第一、街中じゃ目撃者の始末が面倒よ〉
〈無差別殺人は趣味じゃない〉あからさまに否定してみせてジャックの言。〈当事者だけになるところを狙うしかないな〉
〈ヘェ、〉“キャス”が鼻白む。〈いつからそんな半端者になったわけ、この殺人鬼?〉
〈勘違いするな〉応えるジャックの声は涼しい。〈当局に眼を付けられたくないだけだ――面倒が増える〉
〈どこよ、〉あからさまに“キャス”が訝る。〈そんな都合のいいとこ?〉
〈まずはシティに入る前だな――ヤツの移動手段は?〉
〈連絡用のサヴァンナとかその辺じゃないかしらね――ちょっと待って〉“キャス”が陸軍駐屯地近く、市警交通部の監視システムに潜る。〈えーと、とりあえず駐屯地入り口は張れるけど〉
ジャックの視界に公道の監視カメラ――その映像が2つと地図データ。付されたタグが示すに1つは駐屯地ゲートから市道へ入る交差点、もう1つは市道がシティへ入る、その寸前。
〈狙うとするならこの中間てことになるけど?〉
〈狙撃、か〉
ジャックが頭に浮かべるのは手持ちの狙撃銃シュレイダーSR215イーグル・アイ、その性能。暗視スコープを装着したとして、有効射程は800メートル。問題はバーナード本人の識別にある――駐屯地から出てくる車をよもや無差別に撃つわけにも行かない。
〈問題は的が絞れるか、だな。ヤツのナヴィゲータを追えるか?〉
〈駐屯地を離れたら公共ネットに繋がるから、ってこと?〉可能性に言い及んで“キャス”。〈にしても事前の仕込みもなしじゃ、いきなり見分けるのはホネだわよ〉
〈的の位置は取れる〉指摘してジャック。〈相手が通る場所は判ってるんだ。基地局から追えないか?〉
〈アドリブで?〉疑念を打ち返して“キャス”の声。〈やってもいいけど、絞り込む間にヤツが通り過ぎちゃうんじゃないの?〉
ジャックが舌を打つ。〈――確実にはいかない、か〉
〈私が言うのも何だけど、〉嫌味を効かせて“キャス”が継ぐ。〈市道で事故ったら赤の他人を巻き込んでも不思議じゃないし、ましてや駐屯地の眼の前でぶっ放したらどうなるかは想像したくないわね。――取り引きの場所は割れてるんでしょ?手間を惜しまないで素直に殴り込むことね〉
理では“キャス”に分があった。暮れなずむ空を背にジャックは街外れ、監視カメラの映像群を“キャス”に覗かせつつアルビオンを停める。
“シールズ・シティ”――“大陸横断道”のほぼ中間を占めるだけに、物流の要としての顔は広く知れている。その要となる中央コンテナ・ヤードは都合、シティの中心に位置を占めている――というより、シティそのものがここを中心に発展していったというのがむしろ正しい。
〈こんな街中で取り引き、ねェ?〉“キャス”の評は相変わらず辛い。〈何を横流しするつもりなんだか〉
そこの情報は裏を取り損ねた、というのが実際のところではある。事実、夜通しアルビオンを飛ばして辿り着いたのが当日の夕方、何とか間に合わせたというのが正しい。ジャックは皮肉を聞き流すと、“キャス”に指示をくれた。
〈コンテナ・ヤードの管理棟だ。潜れるか?〉
〈軍に比べりゃ楽だけど〉応じて“キャス”がダイヴ、コンテナ・ヤードの監視カメラから映像を抜いてくる。〈こんなのに引っかかるような真似、連中がするほど間抜けだと思う?〉
〈だからだ、“キャス”〉ジャックの意図は一段深い。〈監視映像が偽物にすり替わってないか――問題はそこだ〉
〈何にしても、ここからじゃ無理ね〉返す“キャス”の声は甘くない。〈当のシステムが信じ込んでる情報よ? 外から覗いたくらいで判るくらいなら何も苦労はないっての〉
〈それも道理だな〉
ジャックはアルビオンのコンテナから“ヒューイ”を下ろした。
街中、あからさまに武器をひけらかして回るわけにも行かない。得物は懐のホルスタにケルベロスと腰に予備弾倉4本、副兵装として右足首のホルスタにリヴォルヴァのブルズアイP320ショート・ハンマ、懐にはさらに忍ばせてサヴァイヴァル・ナイフ。あとはいつも通りの耐弾スーツとフライト・ジャケットに軽装甲ヘルメット。
〈言いたかないけど〉“キャス”がジャックの聴覚に一言挟んで、〈大した肝よね〉
〈焚きつけるだけ焚き付けといて言う科白か〉
言い捨てたジャックが“ヒューイ”のスロットルを開ける。問題の取り引きまで残りわずか3時間弱――。
〈どっちにしろ出たとこ勝負だ。時間がない〉