
電脳猟兵
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クリスタルの鍵
第4章 潜行
4-8.捕捉
アンナ・ローランドはドアを開けた。
“アンバー・タウン”の中央部、運送業者向けの安ホテル。最小限の調度を備えた客室の窓からは、ありふれた田舎町のささやかな中心部の夜景が覗く。
「いま知り合いから連絡が入りました――警察と“メルカート”の情報源は押さえたそうです」アンナの背後、イリーナは数えるように指を折った。「ミス・ホワイトを彼らが捕捉すれば、連絡が入ります」
「彼女が無事だったら?」
トランクをベッド脇へ運んだアンナが振り返る。
「さっきの知り合いが同僚と街の出入りを見張ってます。“ランプリング・シティ”と“サンボーン・シティ”に2人づつ」
イリーナは足元を指差した。
「あとはここ――ミス・ホワイト達がいずれかに補給に立ち寄ってくれれば、網に引っかかるはずです」それから、イリーナは付け加えた。「日当は弾んでやってください」
「まあ、多分7日と保たないけど」
アンナが軽く天井を仰ぐ。
「神経が?」
「お金が」唇の間から、アンナが小さく舌先を覗かせる。「もう鼻血も出ないわ」
「思い切りましたね」イリーナが軽く両手を広げた。「感心しましたよ」
「お金なんて生きて帰らなきゃ意味ないもの」アンナは肩をすくめた。「単に開き直っただけよ」
「まあ、農場やら民家やらにまでは手が回りませんでしたがね」イリーナは苦笑を一つ、「その時は“ハミルトン・シティ”で待つとしましょう」
「妙、です」
ビジネス・スーツの情報屋が顔色を変えた。振り向いた先にアントーニオ・バレージの怪訝な顔がある。
監視指揮所へバレージを呼び出し、“アルビオン252”の行き先に非常線を張った――そこまでは良かった。
「“アルビオン252”が――、」その先、情報屋の言葉が続かない。
回線の繋がる先、非常線では何も起きなかった。一方の監視指揮所では、“アルビオン252”はとうに非常線を通過した――ことになっている。
「……一体……」情報屋が額の汗を拭う。
『こちら非常線デルタ』連絡が入ったのは、予備の、さらに予備の非常線から。『バンが来ます――“モスキート24”です』
「確認させろ」
バレージが、不機嫌も露わに指示を出す。続いて口中、小さく呟きを噛み潰す。
「こいつは、やられたな」
しばし、雑音の間に苦い沈黙。
『やられました!』
回線のその先、バンに向かったフロート・カーから、非常線へ慌てた声――それが洩れ聞こえてくる。次いで非常線から、さらに度を失った報告が続く。
『バンには誰も乗ってません! 無人です!』
「付近に捜査網を展開!」喝にも似たバレージの一声が通る。「獲物は近いぞ、応援を投入!」
「シニョール・バレージ!」
部屋に飛び込んできた者がある。小柄ながら、背筋の通った細身。
「取り込み中だ、フランコ」
バレージが細身――フランコを片手で制す。が、フランコは足を止めない。そのままバレージに歩み寄り、訝しむ相手の表情を見もせずに耳打ち一つ、
「ドン・マルティネッリが……」
音もなく、黒い影が空を滑る――。
モータ・ハンググライダ、それが複数。操るのは、同じく黒づくめの装備に身を固めた人影。
“サイモン・シティ”郊外。街の灯を見下ろす丘の上、向かう先には白い屋敷――“メルカート”構成員なら誰でも知るナンバ2、ジュゼッペ・ナヴァッラ邸がある。
上空でハンググライダが旋回する。仲間を待ち、編隊を組み、タイミングを取ると一斉に降下。
一隊は屋根へ、もう一隊が庭へ。屋根へ向かった2人がしくじった。行き過ぎて、それでも庭へ着地する。
それぞれが肩から短機関銃SMG595を手にする。銃口には消音器。手信号だけで意思を交わし、合流して、屋根裏部屋の窓と勝手口へ。
この間、約30秒。警備室の構成員は、いきなり現れた複数の侵入者に気付いた。警備の数人を確認に回す。
まず勝手口の一隊が火薬で扉を破った。一拍おいて屋根裏部屋も続く。
最初に出くわしたのは、キッチンでナイト・キャップを楽しんでいた中年の使用人。これは口を塞がれ、手足を縛って転がされた。
続いて勝手口へ向かっていた構成員。相手を確認して、銃を抜く――その途中で胸を撃ち抜かれて崩れ落ちる。
次にも1人、さらに1人――熟練した手際で、侵入者は邪魔者を処置していく。
1分と経ず、侵入者はジュゼッペ・ナヴァッラの部屋へ押し入った。入り口を固めていた若者を殺し、ドアを蹴破り、バー・カウンタの裏にうずくまったナヴァッラを発見すると、侵入者は無言で引き鉄を絞った。
さらに侵入者はアルバート・テイラーのいる客室へも到った。事態を把握する間すら与えず、テイラーの額に9ミリの穴を空ける。
「“ナイト・アウル2”より報告、目標を処理完了」機械を思わせてオペレータの声。「撤収開始」
ケヴィン・ヘンダーソン大佐は満足気に頷いた。
“サイモン”陸軍駐屯地、作戦司令室。メイン・モニタ、その最上部には目標3人の名が連なる。
セルジオ・マルティネッリ、ジャコモ・マルティネッリ、ジュゼッペ・ナヴァッラ――最後の一つ、ジャコモ・マルティネッリの名に『処理完了』のマーカが重なった。
傍ら、監査局“テセウス”支局の麻薬組織部長が手を差し出した。その手を取り、肩を叩き合う。次いで担当課長、さらに担当官――。
〈ケヴィン、〉ヘンダーソン大佐へ、ナヴィゲータ“ジェシカ”が告げた。〈“血のサイン”からメッセージです〉
ヘンダーソン大佐は眉も動かさず、握手を交わし続ける。“ジェシカ”が続ける。
〈読み上げます。“城は築かれた”〉
“メルカート”のナンバ3、ピエトロ・ドナトーニが組織を掌握しにかかった、その符丁。同時に“テセウス解放戦線”との密約が成った、その確認でもある。
〈“修理屋”からメッセージが来ました〉“ジェシカ”が続ける。〈“処置完了”〉
今度はテイラーの“処置”が完了した、その合図。全てが順調に運んでいた。
〈ケヴィン、カトー軍曹からコール。緊急です〉
作戦指揮を執る少佐の手を握ったところで、“ジェシカ”が告げた。
「失礼」
ヘンダーソン大佐は司令室を出た。
〈大佐、目標を補足しました〉
報告者――カトー軍曹が勢い込んで告げた。
〈でかした〉大佐は高速言語で応えた。〈どこだ?〉
〈“アンバー・タウン”の北西、50キロ地点。農場があります〉
〈追跡できるか?〉
〈現在位置は追跡できてます〉カトー軍曹が付け加える。〈宇宙港からの観測スケジュールに割り込みました。“カーク・シティ”からのルートに整合性があるのは334件のうち1件だけです〉
“ジェシカ”が大佐の網膜へ、位置情報を映し出す。ライトを消して走る、トレーラの拡大画像が添えられた。
〈“アンバー・タウン”なら1時間で捕捉できる。追跡を続行〉
一方で、大佐はエリックへ指示を飛ばした。
〈目標を捕捉した。やれ〉
「ドン・マルティネッリが亡くなりました」
バレージの耳元、フランコが告げた。バレージの表情が固まる。
眼で問う。フランコは続けた。
「先ほどです。シニョール・ドナトーニから……」
「ドナトーニ!?」
思わずバレージが声を上げる。自分の声を聞いてから気付き、周囲を見回すと、バレージはフランコの袖を引いて部屋を出た。
「どういうことだ」
「シニョール・ドナトーニから、通告があったんです」フランコの顔に血色がない。「シニョール・ジャコモがドンを殺したと」
犯人として挙げられたのは、ドン・マルティネッリの長男の名。バレージの頭から血が引いていく。
「……やりやがった……」
頷き一つ、フランコが続ける。
「シニョール・オルソが仇を討ったと言ってます」
ドナトーニが次男オルソを担ぎ上げ、ドンを殺して組織を乗っ取りにかかっている――その構図が頭の中に組み上がる。バレージはフランコの腕を掴んでいた。
「シニョール・ナヴァッラは!?」
ドナトーニのライヴァルであるナヴァッラが、その配下であるバレージが、いつまでも無事であるわけがない。
「それが、さっきから連絡がつかないんです」フランコの息を詰まらせた。「――逃げて下さい」
「何だと?」
深刻を通り越して、間の抜けた声が出た。フランコがバレージの腕を掴み返す。
「逃げて下さい、あなただけでも。シニョール・ナヴァッラは今頃もう……」
バレージが歯を軋らせた。