電脳猟兵
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クリスタルの鍵
第10章 深層
10-8.正体
ケヴィン・ヘンダーソン大佐は管制卓、シートに背を預けた。モニタの向こうでは、先刻流した映像がループ・バックで再生され続けている。
ヘンダーソン大佐は、口の端を釣り上げた。喉の奥から小さく笑いがこみ上げる。
『お父様?』
笑いを遮るように、管制卓から呼びかける声。大佐は、視線をディスプレイに振り向けた。
「“キャサリン”か」
“キャサリン”は、散歩から返って来たとでも言わんばかりの気軽さで言ってのけた。
『いまジャックと話してきたところ。彼、気付いたわよ』
「それは気の毒に」ヘンダーソン大佐は、眉を開いた。「知らずにいた方がまだしも気が楽だったろう――それにしてもよく気付いたな」
「演出過剰だもの。“サラディン・ファイル”の橋渡し――シンシアって言ったわね――あの子をどんでん返しに使ったりするから」
「それは現場の判断だ。演出じゃない」大佐は両の手を天に向けた。「ミス・ホワイトの身柄が連邦に渡ったら、それこそ気の毒なことになる――謀殺されるのがオチだ」
『そう思わせるための演出?』
会話を楽しむような、“キャサリン”の声だった。
「単なる事実に過ぎん。まあ思った以上に演出効果が出てくれたのは確かだな。彼女を呼び寄せた甲斐があった――保険というものは、かけておくものだな」
『計算高いのね』
「マメなだけだよ」大佐の片頬が緩む。「むしろ、“サラディン・ファイル”はもっと早い段階で使ってくると思っていたがな。色々と面白い方に転んでくれた。跳躍ゲートまでが封鎖できるとはな」
首脳部を巻き込んだスキャンダル――この混乱で、“惑星連邦”は動乱を平定するどころではなくなる。加えて、“テセウス解放戦線”内部の邪魔者も一掃される。と、ここまではシナリオ通り。ところが時間ができたお陰で、跳躍ゲートを核機雷で封鎖するという演出までもが可能になった。
「これで、真の独立が成る。ヒモがつく心配などない、真の独立が」
『“独立”? “王国”の間違いじゃないの?』
「同義だよ。独立の功労者が国家の舵を執る――当然の帰結だ」
ヘンダーソン大佐の喉元に、笑いの衝動がせり上がる。押し留める理由を、大佐は持たなかった。
しばし自失、ジャックはその場に立ち尽くした。やはり言葉を失っていた一同の中で、マリィが誰に向けるともなく問いを発した。
「……何もかも、シナリオのうち? ヘンダーソン大佐の?」
「……多分、な」ジャックがつい応じていた。「マリィが見たエリックのメッセージってのも、恐らくは……」
「エリックが、死んだのも? あなたに出逢ったのも? 私が、今ここにいるのも?」マリィが力なく膝を折った。「……頭が……変になりそう……」
マリィを支えようにも支えきれず、アンナも腰を落とす。
「……これからどうするか、だな」
ぼんやりと、ロジャーが呟く。
「ここにいても手詰まりだ」シンシアが頭を振って、声を絞り出す。「大佐に追い詰められて死ぬだけだぜ」
「まァここまで知っちまっちゃ、」ロジャーが喉元、手刀を横に引いて舌を出す。「生かしちゃおかねェよな、普通」
「そういうことだ。その前に討って出るしかない」オオシマ中尉が後を引き取った。「呆けてる暇はないぞ」
「ああ……」
ジャックの声には張りがない。
「まあ無理もねェけどな、ここまでずっぽり嵌まっちまっちゃ」
ロジャーが同情の声を上げる。その横を抜けてオオシマ中尉。棒立ちのジャックの胸ぐらを掴み上げる。
「腑抜けてる暇なぞあるか!」勢いに任せて殴り飛ばす。「行くか、くたばるかだ! 答えなんざとっくの昔に出てるんだよ! 解らんのか!?」
ジャックの反応は、しかし鈍い――そう見るや、シンシアが前へに進み出た。オオシマ中尉の肩に手を掛ける。
「ちょっと待ちな、効いてねェ」
オオシマ中尉が振り向いた。そこに覗く苛立ちが、仲間を殺された怒りに増幅されたものだとは容易に察しがついた。シンシアはジャックの側へ膝をつき、焦茶色の瞳を覗き込む。
「よォ、マリィのヤツがどうなってもいいのか?」へたり込んだマリィへ、シンシアは親指を向けた。「このままじゃ口封じに遭っちまうぞ」
ジャックが頭を振る。それでも鈍さが残る所作に、シンシアは一つ鼻息を吐いた。
「しゃあねェな」立ち上がり、シンシアが振り返った。「おいみんな、部屋から出な」
オオシマ中尉が、ロジャーが、アンナとイリーナが、それぞれ怪訝な顔を見せる。シンシアはそれを追い立てた。
「いいから出てろっての!」
アンナとイリーナがマリィへ手を貸そうと腰を落とす。そこへシンシアが声をかけた。
「いいんだ。マリィはここに残んな」言いつつマリィへ歩み寄る。傍らの2人へ眼をくれて、「いいから任せなっての」
看護師詰所に3人が残った。入り口のドアが閉まるのを見届けて、シンシアはマリィの傍らへ膝をつく。彼女もだいぶ参っている、それが見るだに明らかだった。それを承知で、シンシアはマリィの耳元へ口を寄せた。
「ほれ、あんたが気ィしっかり持ってくれねェと始まんないんだ」
震えるほどに小さくかぶりを振るマリィを見て、シンシアは小さく息を吐いた。
「ま、気持ちは解らんじゃないがね」シンシアがスリめいた素早さ手を動かした。「じゃ、こうだ」
シンシアの手が、マリィの着ていた戦闘服のファスナを引き下ろした。胸元から腰にかけて覗いたのはTシャツだが、動揺は眼にも見えて明らかに兆した。
「!!」
慌ててマリィが戦闘服の前をかき合わせた。蒼白だった顔に血の色が一気に上る。
「こっち方面に免疫ねェのは知ってんだ。ほれ、気ィしっかり持ちな」
「な、何……!?」
シンシアはマリィの腿、その内側に指を這わせた。悲鳴に似たかすれ声がマリィの口を衝く。その耳へシンシアが囁きかけた。
「ほら脚に力入れな、あんたしかいないんだよ」
「ど、どういうこと?」
「景気づけだ。あいつにキスの一つもしてやんな」
マリィの顔が、赤みを増した。
「……何よ、突然」
シンシアの瞳が、マリィの眼を射た。
「あいつァあんたにベタ惚れだ。効くぜ」
「どうして、こんな時、に……?」
「こんな時だからだよ」
シンシアがジャックへ親指を向ける。気の抜けた、という表現そのままのジャックが怪訝そうに2人を窺っている。
「でなきゃ、オレが――かっさらってくぞ」
シンシアの声が低くなる。その意味を捉え損ねて、マリィはシンシアの瞳を覗き込んだ。「……え?」
溜め息一つ、シンシアは心もちゆっくりと立ち上がった。踵を返し、ジャックに足を向け――歩み寄る。上体さえまともに起こせずにいる彼の側へ両の膝をつき、その上へジャックの頭を載せる。
最後に確かめるような視線をマリィへ投げる。我を持ちきれずにいる深緑色の瞳を射ると、おもむろに顔を膝の上――ジャックへ向けた。
「まったく鈍くて困っちまうぜ――どいつもこいつも」言葉とは裏腹に優しげな声音をジャックへ向ける。「お前さんもいい加減にしっかりしろよ――でなきゃこうだ」
突如として顔をジャックへ寄せる。勢いそのまま、シンシアはジャックの唇を奪った。
同時、ジャックの眼に差して驚愕の光。
「……!」マリィの頭に理由もなく血が上る。「ちょっ……!」
そして胸の裡を灼く、その感情。マリィの唇がわなないて止まらない。
そんなマリィの胸中も知らぬげに、シンシアは唇をゆっくりと離した。
「オレは最初っから知ってたぜ――キース」
「!」そこで彼の声に感情。「……どうして……!」
「キース!?」マリィの声に色。「まさか――キースなの!?」
キース・ヘインズのことはマリィもよく知っている――つもりだった。エリックの戦友として。そして、エリックと自分に向けられていた複雑な眼の色も。だが、エリックとともに死んだと思っていた彼が、まさかジャック・マーフィその人であるとはついぞ考えもしなかった。「……あなた、だったの……!?」
「……でも、オレはもう行かなきゃ」膝の上の顔へ小さく、しかしシンシアは優しく笑む。「ヒューイのヤツ――あいつの想いが伝わっちまったから」
「……お前……」
自失するジャック――キースの状態を優しく抱き起こすと、シンシアは迷いなく腰を上げた。踵を返し、前へ――マリィの傍らで立ち止まると一言、
「じゃ、後は任せたぜ」
そのまま歩を進め、シンシアが詰所を出ていく。ドアの閉じる音を、マリィは背中で聞いた。